滚石,不生苔(from091201)

2010-01-04 11:15阅读:
滚石,不生苔(from091201)
著:外山滋比古 翻译:康伟孟
到底是老待在某个地方保持稳定好,还是活跃地四处移动好?答案因时间和场合的不同而各异,不可一概而论。不过,话说回来,这个问题本身是不是就能够解释得清楚呢。大体上,在社会稳定和平时期,踏实稳定的生活被人们所推崇,而随意变动则只能徒增麻烦。于是,人们大多倾向于选择维持现状。今天重复着昨天的事情,今天的事情明天还重复着。
反过来说,在这个不得不不断尝试新鲜事物,与时俱进的社会里,每个人要是都满不在乎地叼着烟不求进取的话,恐怕就不合时宜了。因此,对精力充沛地工作的人怀有崇敬的风气油然而生。
语言这东西同样能敏感地反映这样的世态和心态,尤其谚语,更能达到酣畅淋漓的表达效果。
有这样一句谚语――――“滚石不生苔”。
它是英文“A rolling stone gathers no moss.”的译文。这句谚语在英语国家几近家喻户晓。它以“不固定在某个地方发展而频繁更换营生的人要成功几乎是非常渺茫的”,更确切地说,“这样的人是无法有所积蓄”的意思等被人们频繁引用。有时候,人们也将它巧妙地用在频频更换恋爱对象而始终无果的人。
这个谚语诞生于英国,这里的“苔”在权威字典里面的解释是“金钱”。最初以“辗转地更换住所或职业的人无法有所积蓄”的用法被人们所使用。比喻地说,恋爱也是如此,于是才有了前面提到的用法吧。
大约20年前,我在一个偶然的机会察觉到:美国人是不是对这个谚语的意思似乎有所“误解”。
在解释这个谚语时,美国人采用了似乎和英国人截然相反的意思。
在美国人看来,真要是“滚石”型人才的话,拉拢者总是一波接着一波。真正的人才总会在席不暇暖的情况下频繁跳槽。即便他们想在某个公司稳定下来,拉拢者们也不会轻易“放过”他们。被物色并准备到A公司上班后,又很快被B公司拉拢过去。这样的人才总是闪闪发光、耀眼夺目。对于他们来说,甚至连让“苔”之类的污垢沾染的闲暇都不会有。污垢或锈迹之类的东西总在和他们擦肩而过后悻悻地掉落一地。由此可见,大部分美国人都认为“滚石不生苔”的解释也就很清楚了。
我觉得同是英语国家却还会存在这样的“误解”的确是非常有趣的现象,并在当时编辑的英语文学杂志的《编后记》中写到:“滚
石不生苔”这一谚语在美国似乎已经出现了新的解释。
写完后,我不禁想:那,为什么同样是说英语的国家,对同一个谚语的理解会有如此差异呢?在一个偶然的机会,我读到一篇文化论这样写到:会在祖父居住过的房子继续居住的美国人是极少的,而在英国,祖孙三代人都在同一片土地上居住的人则是美国人的数倍。于是,我觉着自己是不是已经从这篇文化论获得了一些灵感。
美国是流动型社会,而英国是稳定型社会。美国人对人口的流动持肯定态度,并认为尽可能搬迁移动是件好事。而英国则不然,他们喜欢稳定,认为最好可以尽量长久地待在同一个地方,因为他们尊重传统。而历史极为短暂的美国即便想尊重传统,也无传统可尊。
关于住所问题,是选择毫无顾虑地搬迁还是几乎不进行搬迁,美国和英国同样存在非常大的差异。和对待职业一样,英国人很容易认为频繁更换工作的人本身是不是存在什么问题,这与认定接二连三地跳槽变动才能证明优秀的美国恰恰相反。
正因为有了这样的社会背景,被英国人否定的“滚石”在美国则成了优秀的人才。即便如此,人们都应该熟知谚语的意思也并非一成不变的吧。人们对谚语的理解很容易因个人的想法和感知方式的不同而大相径庭。举个例子,通过周边的黑色看灰色的话,灰色看起来就成了白色。而周围如果是白色的话,灰色看起来则成了黑色。对谚语的理解也是如此,是相对的。
有时候我们可以看见舞台上的舞蹈演员会穿着满是珠子的坎肩。当坎肩撞上青色光时,坎肩看起来就成了青色。而当它撞上红色光时,坎肩就会闪现红色。谚语的含义也类似,不同的人会有不同的见解。用最近非常流行的说法,谚语同样会闪现“彩虹色”。被人们称之为“滚石”的人在英国人看来毫无定性之人,而在美国人看来,却是真正的才能体现。有趣的是他们都认为只有自己的解释才是正确的。
那么,日本人对于“滚石不生苔”这个谚语又是抱着怎样的情感呢?年长的人,大多站在英国人这一边,认为频繁变动不好。年龄越轻,选择站在美国人一边的人也越多。根据以前我在学生们身上所作的调查,约有40%选择了美国人的解释。现在这个比例应该是有增无减吧。
战前的日本属农村社会,人们大多被束缚在土地或家中。一旦离开了家或土地,人们就难以生存。于是,固定在某地的生活方式被人们所推崇。
后来,能够摆脱土地束缚的第二个、第三个男丁先后都成为了工薪阶层,但这并不意味着束缚他们的东西就不消失了。相反,在此期间,仍居住在农村的工薪阶层们对有东西束缚着以及被固定在同一个地方的期待应该从未消失吧,这也应该是使终身雇用制得到发展的重要原因。无所事事到处晃荡的话,就成了居无定所的流浪者,社会是不信任这类人的。
于是,还处于稳定型社会状态时的日本和英国一样,并不认为做“滚石”是件有趣的事情。
战后,日本的社会形态发生了巨大变化,认为“滚石”无趣的观念也逐渐土崩瓦解。农村的人们竞相奔向大城市,人口也出现了前所未有的流动。在企业上班的话,工作上的调动也是理所当然的。要是敢对调动表现出不满的话,就有永远翻不了身的风险。无论内心愿不愿意,他们都得看起来开心地到新的地方赴任。
过着此类生活的人们,恐怕是不可能会喜欢“滚石是无法有所积蓄”之类的谚语吧。在无可奈何的情况下,他们可能会选择忘掉这句谚语。怎么也无法忘记的话,他们就只能选择视而不见。
如果以上两者都无法做不到的话,还有一种按照对自己有利的方式进行解释的妙招。现在的美国人就利用这个方法才创造了谚语的新解释。即便是没有美国人的告知,独立自主的日本人同样可以发明“滚石正是因有能力才四处变动”的说法,并灵活运用。
在类似的场合下,对所谓的“苔”的解释也不必含糊其辞。湿度不够的地方是长不出漂亮的苔藓的。自古以来,我国认为苔藓是漂亮的审美观就已经不断成熟。人们有建造花园的话,就会自然而然地种上苔藓。 “苔寺”自古以来就是因为其美丽的苔藓而闻名遐迩,到访者络绎不绝,以至于人不得不担心游客数过多会对苔寺造成影响。
而在美国这样干燥的土地上苔藓是长不好的,因而也欠缺了苔藓之美。美国人一看到苔藓反而可能会联想到“有点脏”。英国人则认为“苔=金钱”,可见英国是一个尊重“苔”的社会。无论认为“苔”有趣与否,人们对“滚石”的评价总是不尽相同。
在某种程度上讲,早先的日本,包括现在的日本,或多或少属于珍视“苔”的社会。然而,美国人对“苔”抱有的情感也影响着日本的年轻人,并不断蔓延开来。现如今,似乎有越来越多的日本年轻人觉得“苔”有点脏,认为“不生苔的“滚石”才优秀”的人也在逐渐增多。
这个姑且不论,在察觉到美国人对这个谚语似乎已经有新的解释的时候,我还未能在文献上找到美国式的释例。留心打听了一番后,我从同事的口中得知确有一本书上记载说人们比较喜欢“滚石”的释例。了解到自己的想法不是单纯的推测,我不禁快活了一下。
尽管现在还无法在国外的字典里找到这个谚语的新解释,不过,在日本的《英和字典》中“moss(苔)”有这个谚语的词条,上面写着:【(美)经常变动的人总是清新的,(英)滚石不生苔(频繁变换营生的话就无法有所积蓄)】。不久,这样的解释应该会更广泛地被人们所认同吧。
每个人对谚语的理解都由他本身的价值观所决定,当然,也有可能因为平日里自己未能察觉的想法、感觉而产生别出心裁的解释。这么想的话,为什么“彩虹色”这一谚语有时候会被用来代替罗沙哈测验(叫人解释墨水点绘的图形以判断其性格)也就不难理解了。
滚石,不生苔(from091201)
日语原文:
第六課  転石 苔を生ぜず   091126
外山滋比古
本 文
 じっとしていたほうがいいか。活発に動き回るのが望ましいか。時と場合によって違うから、一概には言えない。ただ、こういうことは言えるのではあるまいか。だいたい世の中が落ち着いて平和なときには、どっしり構えているのがよしとされる。やたらに動かれては、はたが迷惑するからである。現状維持でいこうということになる。昨日のことは今日も続き、今日のことは明日もそのとおりになる。
逆に、新しいことをどんどんしていかなくてはならない社会では、みんながぼんやりたばこを吹かしていたりしていては都合が悪い。精力的に仕事をする人を尊重する気風が自然に生まれる。
言葉もそういう世相や感じ方をかなり敏感に反映するものだ。それがもっと端的に現れるのがことわざである。
転石 苔を生ぜず
ということわざがある。これは明らかに英語の、
A rolling stone gathers no moss.
の訳である。英語のほうは大変有名で、一箇所に長く腰を落ち着けていられないで、絶えず商売変えをするような人間に、成功はおぼつかない、もっとはっきり言えば、そういう人間には金がたまらない、という意味で使われる。
ときには、これをひとひねりして、相手を次々取り替えているような人間の恋愛は、いつまでたっても実を結ばない、というように転用されることもある。
このことわざは、イギリスで生まれたもので、ここのコケ(moss)とは、金のことなり、と権威ある辞書にも出ているほどだ。初めは、だから、住まいや職業を転々とするような人間には金はたまらない、の意味で使われた。比喩的には恋愛でも似たことが言える、というところから、先のように応用されるのであろう。
今から二十年くらい前のことになるが、私は、ふとしたきっかけで、アメリカ人がこのことわざを“誤解”しているのではないか、ということに気づいた。
どういうふうにアメリカ人がこれを考えるかというと、まるで、逆にとっているらしいのだ。
つまり、優秀な人間なら引く手あまた。席の暖まるいとまもなく動き回る。あるいは、じっとしていたくても、そうはさせてくれない。スカウトされてAの会社へ行ったかと思うと、また、すぐ別のB企業へ引き抜かれる。こういう人はいつもぴかぴか輝いている。コケのような汚いものが付着する暇もない。あかやさびのようなものはこすり落とされてしまう。アメリカ人の多くが、それが、“転がる石はコケをつけない”の意味だと思っているようだと思っているらしい、ということが分かったのである。
同じ英語国どうしでありながらこういう“誤解”のあることを大変おもしろいと思ったので、私は、そのころ編集している英文学雑誌の編集後記に、ローリング?ストーンのことわざにはアメリカの新解釈が現れているようだと書いた。
それを書いた後、いったいどうして、そういう違った解釈が生まれたのだろうか、を考えた。たまたま、そのころ読んでいたアメリカ文化論に、祖父の住んでいた所に住んでいるアメリカ人がごくわずかしかないのに、イギリスでは三代同じ土地に住んでいる人間がその何倍もあると書いてあったのがヒントになるのではないかと考えた。
つまり、アメリカは流動社会であるのに、イギリスは定着社会である、ということだ。アメリカでは人間の移動は肯定されている。なるべく動いたほうがいいと考えられている。他方のイギリスでは石の上にも三年式に、なるべくなら同じところにじっとしているのがよいと考えられる。伝統を重んじるからである。歴史の浅いアメリカには重んじたくても、伝統がない。
住まいについても、転居ということを気楽にするか、なかなかしないかが、アメリカとイギリスでは大きく違う。職業についても同じで、次々に勤めを変えるのは、何か問題がるあるからだと考えやすいイギリスの社会に対して、どんどん変わるのは優秀さの証拠だと感じるアメリカでは正反対になる。
こういう社会の背景のあるから、イギリスでは否定的に解かされるローリング?ストーンのことわざが、アメリカではすばらしい人間を指すように思われるのである。これによっても、ことわざの意味が絶対不動のものでないことが分かるだろう。それを使う人たちのものの考え方、感じ方によって、ときとして、大きく違って見える。灰色は周りの黒い所で見れば白と見えるが、周囲が白ければ黒く見える。それと同じように相対的である。
舞台の踊り子がビーズの胴衣を着ている。それに青い光があたると、青く見えるが、赤い色をあてると、赤く輝く。ことわざの意味もそれに似ている。見る人によってさまざまに解かされる。このごろよく言われる言葉を使うなら、“玉虫色”に見える。ローリング?ストーンと言われる人間は、イギリス人には風来坊に見えるのに、アメリカ人にはちょうどその反対の優秀な才能に見える。そして、お互いに自分の解釈を正しいと思っているのだから、おもしろい。
ところで、日本人はこの“転石 苔を生ぜず”をどう感じているだろうか。年輩の人には、イギリス流に、動き回るのはろくでもない人間だとする人が多いが、年齢が若くなるにつれて、アメリカ流の解釈が増える。かつて私が学生について調べたところによると、40パーセントくらいがアメリカ流であった。今はこれがもっと多くなっているにちがいない。
戦前の日本は農村型の社会であった。土地に縛り付けられている。家に縛り付けられていた。家や土地を離れては生きていかれない。定着が尊重されてる。
土地を離れることのできた次男坊、三男坊はサラリーマンとなる。これなら別に縛るものはないわけだが、ついこの間まで田舎にいたサラリーマンはなお、縛られたい、じっと同じところにいたいという気持ちが消えてはいないのであろう。終身雇用制を発達させたのである。ごろごろあちらこちらへ動き回るのは、同じところにいられなくなった流れ者である。社会はそういう人間を信用しない。
こうして、日本もイギリスと同じように、定着社会だった間は“転石”をおもしろくないものと受け取っていたはずである。
戦後、社会が大きく変化するとともにこれが崩れてきた。農村の人たちが競って都会へ出ようとした。人口の流動はかつてないほど激しくなっている。企業に勤めていると当然のことのように転勤がある。それを嫌っていてはうだつがあがらない。内心はとにかく、外見はいかにも嬉々として新しい任地へ向かう。
そういう生活をしている人に、転がる石は金がもうからない、などということわざが歓迎されるはずはない。都合の悪いことは、お互いに忘れようとする。どうしても忘れられなければ無視する。
それがどちらもできなければ、都合のいいように解釈するという手がある。現にアメリカ人がそうして新しい解釈を作り上げた。日本人だって、別にアメリカ人から教えてもらわなくても、自主独立で、転石は能力あるがゆえに動き回るのだ、という考え方を発明して、これを活用することができる。
それに、この場合、コケというものに対する語感もばかにならない。湿度の多い所でないと美しいコケは生えない。我々の国は昔からコケを美しいと思う感覚を発達させてきた。庭園と作ればコケを植える。苔寺は古来、有名で、訪れる人が多すぎて困るほどだ。
アメリカのような乾燥した土地ではコケが育ちにくい。美しくもない。むしろ、無潔な連想を伴うかもしれない。イギリスはコケ=金と考えるくらいだから、コケ尊重の社会であることが分かる。コケをおもしろいと見るかどうかでも、転石の評価も違ってくる。
日本はもともとは、そして、今もいくらかは、コケを大切にする社会である。ところが、このごろは、日本でもアメリカ的感覚が若い人たちの間に増えてきて、コケを薄汚いものと思うようになった。コケなどつかない転石をよいものを感じる人たちが増えるわけだ。
それはさておき、私がアメリカにこのことわざの新しい解釈があるらしいと気づいたころには、そういうアメリカ式の意味に解している例は文献の上ではまだ一つも見当たらなかった。その後、注意していたら、同僚からある本に、ローリング?ストーンを望ましいものと解かしている例があると教えられた。私の考えが単なる推測ではなかったわけで、愉快である。
まだ今のところ、外国の辞書にはこの新しい意味を記載したものは見当たらないようだが、日本の英和辞典で、mossの項にこのことわざを載せて、「(米)活動する人はいつも清新である、(英)転石コケむさず(商売を変えてばかりては金はたまらない)。」としているものがある。そのうちに、もっと広く公認されるようになるであろうか。
ことわざの解釈は、ひとりひとりの考えが価値観によって決定される。日ごろは自覚しないものの見方、感じ方をあぶり出して見せてくれる。そう考えると、玉虫色のことわざは、ときとしてロールシャツハ?テストの代用になることが分かる。