避开视线的文化 100125-100128

2010-02-04 11:19阅读:
避开视线的文化 100125-100128
著:井上忠司 翻译:康伟孟
目光对视我们缔结人与人之间关系的最基本动作之一。
然而,在一般情况下,当我们与他人面对面,相互对视着说话时总会有一种难以言表的不自在。这多半是因为我们日本国民对人们的目光乃至视线过于敏感的缘故吧,在意大利生活的经验让我第一次深深地体会到这一点。
当我们与人对坐在电车或巴士中时,我们经常会为不知往哪里看才好而烦恼。一旦我们的目光和对面座位上的人在偶然间发生触碰,我们就会突然慌张起来。这种情况下,我们会怎么做呢-------通常人们会赶紧将自己的目光落在新闻或报纸上、假装若无其事地望着车内的广告或车外的风景,或者轻微闭目、假装在打盹儿。事实上,在我国的各种交通工具中类似的情景随处可见,即便不是真正为了打盹儿,很多人也会选择轻微闭目。
在意大利的话,以上的场景则不多见。在意大利的交通工具中倘若有乘客闭着眼睛,人们通常都会认为他们真的睡着了。原则上,欧洲的交通工具内不会有任何车内广播。因此,当电车咕咚一声停下来的话,有可能是到站了。不过,究竟是等红绿灯还是真正到站了就不好判断。如果你不睁着眼睛往外看的话,一不留神就可能坐过站。从治安的角度看,也多少存在一些安全隐患,所以不在电车上稀里糊涂地打盹儿也被认为情有可原。
然而,即便我们将这些问题都考虑进去了,意大利人也不会有“不知道往哪里看才好”之类的烦恼。无论你身处意大利的任何角落,你都可以发现意大利人的目光都是坚定的。最初的时候,我经常受不了他们的目光,我总觉着要承受住他们坚定目光总需要某种努力,想回瞪对方的话则必定需要想当的勇气才行。
重复地讲,大部分日本人在相互对视,在目不转睛地看着对方谈话时,似乎都会有难以言表的不自在。我们通常把对他人的视线过于敏感的人称之为“爱害羞的人”。“爱害羞的人”对别人的任何目光都抱有警戒心理。
柳田国男曾指出:我国的总体民众中属“爱害羞的人”这一范畴的大有人在。根据柳田氏的说法,一直在可以推心置腹的朋友间生活的人与初次见面的人目光对视其实是需要想当的勇气的。有朋友在身旁的话,他们会出乎意料地镇静,并可以毫不客气地反复盯着对方看。一旦朋友走开了,他就会不自觉地低下头来,成为被盯视的对象,因为他已经在视线上输给对方。
反过来讲,每个人都必须拥有不在视线上输给对方的勇气
。这种勇气可以通过意识或一定的练习拥有,并在某种程度上形成习惯。根据柳田的说法,这正是“做鬼脸游戏”的起源。也就是,我们国人连“做鬼脸游戏”也发明了。看来,从小孩子的时候起就加强他们的视线强化联系不容忽视。
以下是我刚开始在意大利的生活时发生的一件事。当时,我在意大利一家银行换钱。银行人员递过来的纸币中明显少了一张1万里拉的。于是我就叽叽咕咕抱怨起来。他(意大利银行职员通常为男性)用坚定的目光盯着我,只是说“啊,弄错了”这样一句话。要是在我国银行里发生同样事情的话,则是银行职员一个劲儿低头道歉的场面。我也不甘示弱,努力回瞪了他一会儿。不过,还是承受不住他那坚定的目光,赶紧灰溜溜地离开了。
在回住处的路上,我脑中突然跳出柳田的说法。我边生气地想“要成为国际人士的话,看来日本人是不是有必要在幼儿园或小学的学习中加入“做鬼脸游戏”……”,边匆忙走到人群中去。
然而,在我逐渐习惯意大利的生活以后,我也不再那么在意他们坚定的目光了。我也在他们认定的对视场合下移开视线为不礼貌的文化中逐渐习惯、适应。
数月后的某一天,我偶然间开始发现一件挺奇怪的事情。在面对于意大利遇见的日本人的目光时,我突然有些不知所措。在意大利都市中与素不相识的日本人于偶然间相遇时,无论是与他们视线相对还是避开他们的视线,我都和对方一样明显感觉不自在。于是,我不禁想:如果我们能将意大利的文化称为“对视的文化”,而将我国的文化称为“避开视线的文化”的话,看来,我已经逐渐适应了“对视的文化”。而在“对视的文化”中不断适应的我在日本人的目光的影响下,突然间又被带回“避开视线的文化”中去了,于是,心中不知所措和害羞的心情就在那一瞬间一掠而过。
通常我们都是通过了解他人来发现自我。也就是,通过他人这一面“镜子”照见自己。文化亦是如此。当我们置身于不同的文化中时,就可以或多或少发现一些平日里未能察觉的文化差异。正是在意大利的生活让我再次察觉到我们日本人对他人的目光原来是如此敏感的文化问题。
                         
避开视线的文化 100125-100128
               「隅の一角」     
【选自东京书籍《中学国语2》】
日语原文:
第十一課 視線を避ける文化
井上忠司
 視線を合わすということは、わたしたちが人間関係を結ぶうえで、最も基本的なしぐさの一つである。
 ところが、概してわたしたちは、他者と向かい合った状況で、お互いに視線を合わせながら話をすることに、言い知れぬ苦痛を伴うもののようである。どうやら、わたしたち日本人は、まなざしないしは視線にたいそう敏感な国民であるらしい。このことをわたしが初めていたく実感したのは、かつてイタリアで過ごしたときのことであった。
 わたしたちは、向かい合って座る座席の電車やバスの中で、目のやり場に困ることがある。向かいの座席に座っている人と、たまたま視線が合ってしまって、どぎまぎすることがあるものである。そんな場合、わたしたちはどうしているか―――新聞や雑誌に目を落としたり、車内広告や外の景色を何気なく見やっている。あるいはまた軽く目を閉じて、眠ったふりをしているというのが、ふつうであろう。事実、我が国では乗り物の中で、べつだん居眠りをしているわけでもないのに、軽く目を閉じている光景をよく見かけるものである。
 一方、イタリアでは、乗り物の中で目を閉じている人にはめったにお目にかからないのである。目を閉じている乗客がいたら、それはほんとうに眠ってしまっている人と断じて、ほぼ差し支えあるまい。もっとも、ヨーロッパの乗り物には、原則として車内放送というものがない。ガタンと止まった所が、たまたま停留所であるというしだいだから、信号待ちか停留所かもよく分からないのである。これでは、目を開けて外を見ていないと、うっかり乗り過ごしてしまうことであろう。加えて治安の面でも、必ずしも安全とはいえないようである。うかうか目など閉じてはいられない、という事情もあろうかと思われる。
 しかし、仮にそれらのことを全部考慮に入れたとしても、イタリア人の間では、「目のやり場に困る」ということが、ほとんど問題にならぬのではあるまいか。どこへ行っても出会う、彼らのきょうじんなまなざしに、当初わたしは、しばしば閉口した。わたしには、それに耐えるだけでなにがしかの努力が必要であったが、更に彼をにらみ返すには、なにがしかの勇気を必要としたほどであった。
 繰り返して言えば、どうやらわたしたち日本人は、視線を合わすということ、お互いに相手の目を見据えながら話をすることに、言い知れぬ苦痛を伴うもののようである。他者の視線に特に敏感な性格の人のことを、わたしたちはふつう、「はにかみや」と呼んでいる。この「はにかみや」は、他者のどんなまなざしにも、おおむね警戒的である。
 我が国の民衆の間には、総じてこの「はにかみや」が多かったことを指摘したのは、柳田国男であった。柳田説によれば、今まで仲間うちの間だけで気のおけない生活をしていた者が、初めて会う人と目を見合わすということは、実は、なかなか勇気のいることであった。仲間がいれば、案外平気で人を見たり、じろじろ見返すこともできたのだが、いざ一人になると、どうしても伏し目がちになって見られるだけの存在になってしまう。他者の視線に負けてしまう、というのである。
 逆に言えば、人々には、他者の視線に負けないだけの勇気が必要であった。この種の勇気は、意識の力または練習でもって、ある程度まで養うことができるであろう。柳田によれば、これが「にらめっくら」(にらめっこ)という遊びの起こりであった。つまり、我が国の人々は、「にらめっこ」という遊びまで発明して、子どもときから、視線の強化に努めなければならなかったのである。
 わたしがイタリアで生活し始めて間もないところのことである。ミラノの、とある銀行で両替をした際のこと。銀行員から手渡された紙幣のうち、明らかに一万リラが一枚足りなかった。わたしはぼそぼそと抗議をした。すると、彼(イタリアの銀行はだいたい男性だけの職場である)は、わたしの目をしかと見据えながら、ただ一言で、「ああ、間違えました。」と言っただけであった。我が国の銀行なら、さしずめ平謝りの場面である。わたしのほうも、ここで負けてなるものかと、しばらくの間、彼を一所懸命ににらみ返したのだった。だが、わたしのほうが、彼のきょうじんなまなざしの力にとても耐えきれなくなって、その場からすごすごと退散せざるをえなかったのである。
 宿への道すがら、突如として、わたしはあの柳田説を思い出したのである。そして日本人が国際人となるためには、幼稚園や小学校の学習の中に、「にらめっこ」を取り入れる必要があるのでは……、などと腹立ちまぎれに思いながら、わたしは人ごみの中を足早に歩いていたのだった。
 ところで、イタリアでの生活にだんだん慣れてくるにつれて、わたしはしだいに、彼らのまなざしが気にならなくなっていた。向かい合った姿勢の場面で目をそらすことが失礼だという彼らの文化の中に、私は徐々にではあったけれども、適応していくことができるようになったのである。
 それから数か月たったある日のこと。わたしは、実に奇妙なことに気がつき始めた。イタリアで出会う日本人のまなざしに、いささか閉口するようになったのである。都市の路上などで、見ず知らずの日本人とばったり出会ったりすると、視線を合わすにしても、避けるにしても、わたしはなんとなく日本人も同様に、なんとなくぎくしゃくしているらしいことが、明らかにうかがわれるのであった。これはいったい、どういうことであろうか。
 わたし自身の体験は、おそらくこういうことではなかったか、と思われるのである。仮にイタリアを「視線を合わす文化」と呼び、我が国を「視線を避ける文化」と呼ぶことができるとすれば、視線を合わす文化の中に、わたしはだんだん適応することができるようになっていた。そんな自分が、つまり「視線を合わす文化」の中になじもうと努めていた自分が、日本人のまなざしのもとで、突如として「視線をさける文化」へと連れ戻されたからではなかったか。そのときに生ずる一瞬のとまどいと恥じらいの感情が、わたしの心の中をよぎったものにちがいない。
 わたしたちは、他者を知ることを通して、しばしば自分を発見するものである。いわば他者という“鏡”に、自分自身の姿が映し出されるからである。文化についても同様であう。異文化の中に身を置いていると、わたしたちは日ごろ気がつかないでいた文化の相違を大なり小なり発見するものである。わたしもイタリアでの生活の中で、他者のまなざしに敏感な我が国の文化の問題に、改めて気づいたのであった。
                         
                       [東京書籍『中学国語2』による]