『懦弱无能的腐儒』——福泽谕吉眼中的儒学
2016-03-14 16:33阅读:363
福泽谕吉。日本明治时期著名思想家、教育家、东京学士会院首任院长、日本著名私立大学庆应义塾大学创立者、明治六大教育家之一。他主张脱亚论、影响了明治维新运动乃至日本文化、被称为现代日本的启蒙者。今日日本最大面额10000日元纸币正面、印有福泽谕吉的肖像。
那么此人眼中的儒家文化、儒学是怎样的形象呢?
他写过一本名著:劝学篇(学問のすすめ)、在日本影响极大。其中第17编写有这么一段文字:
孔子の云(いわ)く、君子は人の己を知らざるを憂いず、人を知らざるを憂うと。この教(おしえ)は当時世間に流行する弊害を矯(た)めんとして述たる言ならんと雖(いえ)ども、後世、無気無力の腐儒(ふじゆ)はこの言葉を真(ま)ともに受けて、引込(ひつこ)み思案にのみ心を凝(こ)らし、その悪弊漸(ようや)く増長して、遂(つい)には奇物変人、無言無情、笑うことも知らず、泣くことも知らざる木の切れの如(ごと)き男を崇(あが)めて、奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、人間世界の一奇談なり。
这段文字的大意为:『孔子云:君子不担忧別人不了解自己、而是担忧自己不了解别人。说这话本来或有针砭并矫正当世时弊之用意、然而后世那些弱懦无能的腐儒皆将此话囫囵吞进、一心只会钻牛角尖地凝心钻研、令(这种文化)弊害渐长、以至于最终将一些面无表情不知言笑麻木不仁故作深奥的奇葩怪人尊崇为师、实为人世间一大怪谈。』
福泽谕吉在这里、直接把儒学践行者称为『懦弱无能的腐儒』。
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福泽谕吉还写过一本自传『福翁自传』:
扨(さて)国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数、最大幸福の一(いつ)段(だん)に至れば、東洋国は西洋国の下に居らねばならぬ。国勢の如何(いかん)は果して国民の教育より来(く)るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於(おい)て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。彼(か)の政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒(だんらん)の情に濃(こまやか)なるも、その大本(たいほん)を尋(たずね)れば自(おのず)から由来する所が分る。近く論ずれば今の所謂(いわゆる)立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外(ほか)に逸(いつ)することは叶わず、独立の外に依(よ)る所なしと云(い)うべきこの大切なる一義を、我日本国に於ては軽(かろ)く視(み)て居る。是(こ)れでは差向き国を開(ひらい)て西洋諸強国と肩を並べることは出来そうにもしない。全く漢学教育の罪であると深く自(みず)から信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどは迚(とて)も及ばぬ事ながら、出来る限りは数理を本(もと)にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝(ちよう)夕(せき)一寸(ちよつと)した話の端(はし)にもその必要を語り、或(あるい)は演説に説(と)き或(あるい)は筆記に記しなどしてその方針に導き、又自分にも様々工風(くふう)して躬行実践(きゆうこうじつせん)を勉(つと)め、ます/\漢学が不信仰になりました。今日にても本塾の旧生徒が社会の実地に乗出して、その身分職業の如何(いかん)に拘(かかわ)らず物の数理に迂闊(うかつ)ならず、気品高尚にして能(よ)く独立の趣意(しゆい)を全うする者ありと聞けば、是(こ)れが老余の一大楽事です。
这段文字的大意是:『。。。东洋诸国与西洋相较、位居劣势。若国力之差源于国民教育、则双方教育定有差异。故将东洋儒教与西洋文明比较、可见两处西洋有而东洋无:一处为有形——数理学。另一处为无形——独立精神。说近的、世间但凡有国家存在、说远的、世界但有人类存在、则人间万事之实现无可脱逸于数理之外、独立精神之外无可依托之所。这么重要的道理、我们日本却非常轻视。存在这样的差异、国门一开、日本和西洋诸国根本无法比肩。我深信这一切都是汉学教育之罪、因此我开的私塾虽资金不够、无力设专科、但我力所能及地将教育方针基于数理、同时倡导独立精神、朝夕强调。。。越来越不相信汉学。。。』
同样在他的自传中、还有这么一段:
右の通り私は唯(ただ)漢学が不信仰で、漢学に重きを置かぬ計(ばか)りでない、一歩を進めて所謂(いわゆる)腐儒の腐説を一掃して遣(や)ろうと若い時から心掛けました。ソコで尋常一様の洋学者や通詞(つうじ)など云(い)うような者が漢学者の事を悪く云うのは普通の話で、余り毒にもならぬ。所が私は随分(ずいぶん)漢書を読(よん)で居る。読で居ながら知らない風(ふう)をして毒々敷(し)い事を言うから憎まれずには居られない。他人に対しては真実素人のような風をして居るけれども、漢学者の使う故事などは大抵知(しつ)て居る、と云うのは前にも申した通り、少年の時から六(むず)かしい経史をやかましい先生に授けられて本当に勉強しました。左国史漢は勿論(もちろん)、詩経、書経のような経義(けいぎ)でも、又は老子荘子のような妙な面白いものでも、先生の講義を聞き又自分に研究しました。是れは豊前(ぶぜん)中津(なかつ)の大儒白石(しらいし)先生の賜(たまもの)である。その経史の義を知(しつ)て、知らぬ風(ふう)をして折々漢学の急処のような所を押えて、話にも書(かい)たものにも無遠慮に攻撃するから、是(こ)れぞ所謂(いわゆる)獅子身中(しんちゆう)の虫で、漢学の為(た)めには私は実に悪い外道(げどう)である。斯(か)くまでに私が漢学を敵にしたのは、今の開国の時節に、陳(ふる)く腐れた漢説が後進少年生の脳中に蟠(わだか)まっては、迚(とて)も西洋の文明は国に入ることが出来ないと飽(あ)くまでも信じて疑わず、如何(いか)にもして彼等を救出(すくいだ)して我が信ずる所に導かんと、有らん限りの力を尽(つく)し、私の真面目(しんめんもく)を申せば、日本国中の漢学者は皆来い、乃公(おれ)が一人で相手になろうと云うような決心であった。ソコで政府を始め世間一般の有様を見れば、文明の教育稍々(やや)普(あま)ねしと雖(いえど)も、中年以上の重(おも)なる人は迚も洋学の佳境に這入(はい)ることは出来ず、何(なん)か事を謀(はか)り事を断ずる時には余儀(よぎ)なく漢書を便(たより)にして、万事ソレから割出すと云う風潮の中に居て、その大切な霊妙不思議な漢学の大主義を頭から見下して敵にして居るから、私の身の為めには随分(ずいぶん)危ない事である。
大意是:『我不仅不信汉学、甚至决心把腐儒的腐说一扫而光。。。今日日本正处在开国的关键时刻、若陈腐汉学犹盘踞于后进学生的脑中、那我坚信日本将绝对无法跻身西洋文明国家的行列。我们一定要尽全力把他们拯救出来、向着我们所认同的方向引导。我在这里认真说一句:全日本的汉学者们你们都放马过来!我来陪你们玩(争论)!。。。』
他还写过一本书:『福翁百话』。其中写道:
『世は澆季(ぎょうき)ならず』。澆季的意思是:道德堕落的末世。世は澆季(ぎょうき)ならず的意思是:今日世界并非道德堕落的末世。同时他讲儒学者称为『尚古論者』、意思是:儒家非常喜欢理想化上古的所谓黄金岁月、以此来批判今日的世界。却不知世间是在不断发展的、所谓上古黄金岁月根本就不存在。所以他明确说『腐儒の眼を以て腐儒の書を読む』——意思是:那些儒学者根本就是在用腐儒的眼光饱读着腐儒的书。
A Needle See
Blood。儒家是否100%全部都是垃圾?不是。事实上看今日日本社会、儒家的影响依然存在、但只是存在于日本文化的最表面——礼尚往来、有礼有节、讲究和睦、互相克制——用来最大化润滑社会的运作与人与人之间的和谐。这方面不能不说儒家文化存在优点。但是太多中国人没有看到、在日本文化表层之下的精髓——实用精神、实力至上、科技立国等等。。。那些东西、真的早已和儒学之间、连半厘钱的关系都没有了。
最后放眼今日中国、全社会的礼节教养做得极差、很多时候在人群密集的公众场合简直不忍直视。换言之:儒学仅有的积极面完全没有继承。但是整个宣传姬器、却全力开动、把儒学最最深层次最最迂腐最荼毒中国文化时间最久的部分、狠狠塞到今日公众的大脑里。
无语。
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