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山高不遮白雲行

2019-03-05 19:00阅读:
转载2019年2月22日《時事速報》(時事通信社)上刊载的《莫邦富の『以心伝心』講座》第526讲「山高不遮白雲行」。本次专栏介绍了日本的漢字文化。
2019年2月22日付「時事速報」(時事通信社)に掲載された「莫邦富の『以心伝心』講座」第526回「山高不遮白雲行」をご案内いたします。日本の漢字文化のことを取り上げています。
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第526回「山高不遮白雲行」
 日本は中国から伝わってきた漢字を今でも大事に使っている国だ。中国の漢字文化が時々信じられないところまで浸透している。日本の政治家が好む座右の銘にも中国の古典から取った名言が多い。例えば、「呑舟之魚、不游枝流」(どんしゅうのうおしりゅうにおよがず)という言葉を揮毫(きごう)した政治家を複数見た。志を持った大人は小事にこだわらないということを強調するこのたとえが好かれていることが容易にわかる。
 今年1月16日~2月24日、上野の東京国立博物館で特別展「顔真卿-王羲之を超えた名筆」が開催され、台湾の故宮博物院蔵の「祭姪文稿」をはじめとする顔真卿の名品が展示されている。王羲之、欧陽詢、虞世南、褚遂良、懐素、空海らの作品も見られる。その展示会の人気ぶりと高い評価ぶりには舌を巻いた。
 日常生活の中でも、漢字文化の造詣の深さを感じられることが多い。顔真卿や王羲之の書を菓子の包装紙のデザインに活用する光景もよく見られる。
 先日、帰宅するとき半蔵門線に乗ったら、電車内の広告に目を奪われた。駒沢大学の広告に、「禅のことば」として「山高不遮白雲行」というキャッチコピーが使われているのを目にしたからだ。
 山高不遮白雲行とは、山高くして白雲の行くを遮らず、という意だが、ここでは、立派な存在ほど邪魔にならないということを強調している。
 広告には、さらに次のような解釈の文を入れてある。
「どんなに高い山も白雲の行方を遮らない。立派な存在は決して、周囲を遮って自己主張したりしません。だからこそ、周囲の白い雲もそれに寄り添い一緒になって美しい風景を作り出すのです。それぞれを尊重し合いながら流れていくところに『完成』があります。それが禅の悟りなのです」
 感心した私は思わずその広告を写真に撮った。中国に
は、「竹密不妨流水過、山高豈礙白雲飛」という言い方がある。竹林がどんなに密集していても、渓流が流れていくのを妨げない。山が高くても、飛ぶ白雲の邪魔にはならない、との意。
 自分の利益、自分の仕事、自分の業績だけを考える人間は高い山になれない。他人の成功、進歩、成長を邪魔する人間も決して大人になれない。そんなことを諭す言葉だと思う。 考えてみれば、これまでこのコラムでは、似たような考えを何度か取り上げている。例えば、第17 回の「長江不拒細流、泰山不択土石」や第396回の「海納百川」など。
 南京以降の下流の長江は広い。向こう岸は見えず、川というよりも海だ。司馬遷著『史記』に「泰山不譲土壤、故能成其大;河海不択細流、故能就其深」というのがある。つまり泰山はすこしの土でも断らずに受け入れたから、あんなに大きな山となれたのだ。川や海は流れてくるどんな細い水流でも嫌がらずに合流させたから、そこまでの深さとなることができた。やがてこれは「長江不拒細流、泰山不択土石」という表現に進化した。流れてくる無数の川を受け入れるから、広い海というものが出来上がるのだ、という意味をもつ「海納百川」も同じことを諭している。
 知識、人材などをたくさん受け入れたから「長江」「海」または「泰山」つまり「高い山」となれたのだ。山高不遮白雲行はまさに大家、大物、人材または大きな企業?組織になった後の行動や態度、胸襟のことを強調していると私は理解している。人間、企業、組織もそうするべきだが、国だって同じではないかと思う。
 こう考えながら、半蔵門線の電車が最寄りの駅?錦糸町駅に着いた。今週の時事速報のコラムはこれで行こうと決めて下車した。
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山高不遮白雲行(shan gao bu zhe bai yun xing)  
山高不遮白雲行

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