| 【今昔物語集】 |
| ◆ 兵立ちける者 (一) 今は昔。受領の郎等(らうどう)して、人にたけく見えむと思ひて、えもいはず兵(つはもの)立(だ)ちける者あり。 暁に家を出でて、ものへ行かむとしけるに、夫(をうと)はいまだ臥したりけるに、妻(め)起きて食物(じきもつ)のことなどせむとするに、有明の月の、板間より屋(や)の内に差し入りたりけるに、月の光に、妻の、おのれが影の映りたりけるを見て、「髪おぼとれたる大きなる童盗人(わらはぬすびと)の、物取らむとて入りにけるぞ」と思ひけ |
| 【今昔物語集】 |
| ◆ 兵立ちける者 (一) 今は昔。受領の郎等(らうどう)して、人にたけく見えむと思ひて、えもいはず兵(つはもの)立(だ)ちける者あり。 暁に家を出でて、ものへ行かむとしけるに、夫(をうと)はいまだ臥したりけるに、妻(め)起きて食物(じきもつ)のことなどせむとするに、有明の月の、板間より屋(や)の内に差し入りたりけるに、月の光に、妻の、おのれが影の映りたりけるを見て、「髪おぼとれたる大きなる童盗人(わらはぬすびと)の、物取らむとて入りにけるぞ」と思ひけ |
今は昔のこと、ある受領の家来で、人に勇ましく見られたいと思って、何と言いようがないほどに強い武士らしく見せようとしていた男がいた。 ある明け方に家を出て、どこかに行こうとしていたところ、夫がまだ寝ていたので、妻は起きて食事の支度などしようとすると、有明の月が板の隙間から部屋の中に差し込んでおり、その月の光によって自分の影が映ったのを見て、「髪がぼうぼうの大きな童髪の盗人が、物を盗りに入った」と思い、慌てふためいて夫が寝ているところへ逃げて行き、夫の耳に口を当ててそっと、「あそこに、大きな童髪の盗人の髪がぼうぼうとしたのが物を盗りに入って立っています」と言った。夫は、「どうしよう、大変なことだ」と言って、枕もとに太刀を置いてあったのを探り取り、「そいつの素っ首を打ち落としてやる」と言って起き上がり、裸で髻を解き放ったまま太刀を持って出てみたが、またもや自分の影が壁に映ったのを見て、「何と、童髪の盗人ではなく、太刀を抜いた者ではないか」と思い、「頭を打ち割られてしまう」と思ったので、それほど大声ではなく「おう」と叫んで、妻のいるところに立ち戻った。妻に、「おまえはひとかどの武士の妻とばかり思っていたが、えらく見誤ったものだ。いったい童髪の盗人なものか。髻を解き放った男で、太刀を抜いて持っていたぞ。あいつはひどい臆病者だ。おれが出て行ったのを見て、持っている太刀を落としそうなほど震えていたぞ」と言うが、自分が震えていた影が映ったのを見てそう言ったのだろう。 |
| (二) さて妻に、「かれ行きて追ひ出だせ。われを見て震ひつるは、恐ろしと思ひつるにこそあめれ。われはものへ行かむずる門出なれば、はかなき疵(きず)も打ちつけられなばよしなし。女をばよも切らじ」と言ひて、衣(きぬ)を引きかづきて臥しにければ、妻、「言ふかひなし。かくてや、弓箭(きゆうぜん)を捧(ささ)げて月見に行く」と言ひて、起きてまた見むとて立ち出でたるに、夫の傍らにありける紙障子の不意に倒(たふ)れて、夫に倒れかかりたりければ、夫、「こはありつる盗人の襲ひかかりたるなりけり」と心得て、声をあげて叫びければ、妻、にくみをかしくおぼえて、「や、あの主(ぬし)。盗人は早う出でて去(い)にけり。そこの上には障子の倒れかかりたるぞ」と言ふときに、夫、起き上がりて見るに、まことに盗人もなければ、「障子のそぞろに倒れかかりけるなりけり」と思ひ得て、その時に起き上がりて、裸なる脇を掻(か)きて、手をねぶりて、「そ奴はまことにはわがもとに入り来たりて、安らかに物取りては去なむや。盗人の奴の障子を踏みかけて去にけり。いましばしあらましかば必ず搦(から)めてまし。和御許のつたなくて、この盗人をば逃がしつるぞ」と言ひければ、妻、「をかし」と思ひて、笑ひてやみにけり。 世にはかかるをこの者もあるなりけり。まことに妻の言ひけむやうに、さばかり臆病にては、なんぞの故に、刀、弓箭をも取りて、人の辺(わたり)にも立ち寄る。これを聞く人、皆、男をにくみ笑ひけり。 これは妻の人に語りけるを聞き継ぎて、かく語り伝へたるとや。 (現代語訳) |
| そして妻に、「あいつをお前が行って追い出して来い。おれを見て震えたのは恐ろしく思ったからだろう。おれはこれから出かけようとするところなので、ちょっとの傷でもつけられたらつまらない。まさか女を斬ることはあるまい」と言って、着物を引っかぶって寝てしまった。妻は、「情けないこと。これでは、弓矢を大事そうに捧げ持って警備に行こうというのに、月見にでも行くのかしら」と言って、起きてもう一度ようすを見に出て行こうとすると、夫のそばにあった障子が不意に倒れて夫に倒れかかった。夫は、「これはさっきの盗人が襲いかかってきたに違いない」と思い、大声で叫んだので、妻は、腹立たしくもおかしく思いながら、「もし、お前さん、盗人はとっくに行ってしまいましたよ。あなたの上には障子が倒れかかっているのですよ」と言うと、夫は起き上がって見るが、たしかに盗人はいないので、「障子がひとりでに倒れかかったのだな」と納得して、裸の脇を掻きながら手につばをつけて、「あいつは本当におれのとこに入ってきて、無事に物取りをして逃げようとしたのか、逃げられるはずもない。盗人のやつが障子を倒して行きやがった。もう少しいたなら、きっと捕まえて縛り上げてやったのに。お前が未熟だから、あの盗人を逃してしまった」と言ったので、妻は「滑稽だわ」と思い、笑って終わった。 世の中にはこのような愚か者もいるものだ。本当に妻が言ったように、これほど臆病では、何のために刀や弓を持って主君の近辺に立っているのだろうか。この話を聞いた人は、皆この男をあざけり笑った。 この話は、妻が人に語ったのを聞き伝え、このように語り継がれているということだ。 |