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日语综合教程第七册第七课  城の崎にて(一)

2010-05-14 20:06阅读:
日语综合教程第七册第七课 在城崎
翻译:王志镐


关于作者:志賀直哉(1883-1971)生于茨城县,小说家,1910年与武者小路实笃,有岛武郎一起创刊《白桦》杂志。自从其在创刊号发表《网走》以来,写了如《在城崎》、《和解》、《暗夜行路》、《小僧的神》、《灰色的月》等作品,作为近代日本小说的代表作家,有“小说的神”之美称。
注解:
1. 山手线:国铁山手线,环绕东京都市区的铁道线。
2. 但马:现兵库县北部。
3. 城崎温泉:在兵库县北部城崎镇的温泉。
4. 青山:东京都港区内的地名,本文指青山墓地。
5. 东山公园:温泉街东端的公园。
6. 圆山川:流过兵库县的河流。
7. 一汤:城崎温泉最大的公用浴场。
8. 山阴线:山阴本线,贯通山阴地方的国铁线,从京都经过福知山、鸟取、松江到达下关市的幡生。
9. 芦湖:神奈川县西部,箱根山的火山口原生湖。
课文:
 山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に言われた。二三年で出なければ後は心配はいらない、兎に角要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上――我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。

自从被山手线电车撞倒受了伤之后,一个人到但马的城崎温泉去疗养。背上的伤如果变成脊椎骨疽的话,不就成了致命伤吗?不过医生对我说不会有这样的事发生。如果两三年没事的话,以后就不用担心了,总之最重要的是要小心,因此来了这里。大约住三周以上,要是有耐心的话,我想住五个星期左右。
 頭は未だ何だか明瞭しない。物忘れが烈しくなった。然し気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。稲の穫入れの始まる頃で、気候もよかったのだ。

脑子还不太清楚,记性变得极差。可说起心情,却是近年来没有过的平静、沉稳、情绪良好。已到了稻谷收获时节,气候极佳。

 一人きりで誰も話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前に椅子に腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭になった所に山女が沢山集まっている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然として居るのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。
独自一人,连个唠嗑的人也没有。不是读书,就是看书,或是心不在焉地坐在屋前椅子上,目不转睛地看着山岗和公路,再不然就散散步,虚度时光。散步的地方在从镇里流过的小溪渐渐往上走的小路上,那是个散步的好去处。围绕山脚一带,有一些小水潭,里面聚集着许多鳟鱼。如果仔细看,有时还能发现脚上长着绒毛的的大河蟹,像石头一样趴着一动不动。傍晚用餐前,我常在这条路上散步。
冷々とした夕方、寂しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事は矢張り沈んだ事が多かった。淋しい考えだった。然しそれには静かないい気持がある。自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ている所だったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷も其儘で。祖父や母の死骸が傍にある。それももうお互いに何の交渉もなく、――こんな事が想い浮ぶ。それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か?――今迄はそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、――中学で習ったロード?クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。

山峡中冷森森的傍晚,寂静的秋天,沿着清澈见底的小溪踱步,心里想的仍然多是郁郁寡欢的事情。都是一些寂寞无聊的想法,心情却宁静舒适。受伤的事常困扰着我,心想只要有个闪失,此时我早已仰面躺在青山黄土之下了。脸色发青,冰冷僵硬,脸上和背上的伤都保持原样。祖父和祖母的遗骸在就我身旁,不过互相已毫无关系——诸如此类的事情浮想联翩。这些想法虽然无聊,却没让我感到怎么恐怖。人终有一死,但何时死呢?——至今为止,即便想到了“何时死”,也总觉得那是遥远将来的事;然而现在却感到人不知何时就会死于非命。我之所以能死里逃生,是由于某种缘故我本不该死,我还有必须做的工作。——上中学时读过一本名为《克莱布勋爵》的书,其中写到,克莱布那样考虑问题而得到了激励。实际上我也感受过那样危险的事件,也有了那样的体会。不过奇妙的是,我的心已经平静下来,我的心中涌起了一种面对死亡的亲切感。

 自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。其羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑の大きな肥った蜂が天気さえよければ、朝から暮近くまで毎日忙しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいから摩抜けて出ると、一ト先ず玄関の屋根に下りた。其処で羽根や触角を前足や後足で叮嚀に調えると、少し歩きまわる奴もあるが、直ぐ細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛立つと急に早くなって飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度咲きかけで蜂はそれに群っていた。自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出入りを眺めていた。

我的住处在二楼,别无邻舍,是一间十分安静的日式房间。读书累了,便出来坐在走廊里的椅子上。旁边是宅院大门的屋顶,它与屋子连接的地方是板墙,板墙的中间好像有个蜂巢。只要天气良好,长着虎斑的胖呼呼的大黄蜂每天从早到晚忙着工作。蜂子从板墙的缝隙中挤出身子,暂且下到大门的屋顶上。在那里,它们用前后足仔细整理一下翅膀和触角,有的还各处走动,接着马上将细长的翅膀向两边张开,嗡的一声飞了起来。一旦飞起,就加快速度飞去。灌木丛中的八角金盘花恰好开放,蜂群云集其上。我感到厌倦时,时常凭栏眺望蜂子飞进飞出。

 或朝の事、自分は一疋蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。巣の出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずに俯向きに転がっているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆巣へ入って仕舞った日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは如何にも静かだった。
这是一天早上发生的事。我找到一只死在宅院大门屋顶上的蜂子,它的足紧紧蜷缩在腹下,触角有气无力地耷拉在脑袋上。别的蜂子对此毫不关心,忙着从巢中进进出出,爬过它身边时,全无拘束之感。蜂子忙忙碌碌地工作,给人一种生气勃勃的感觉,而就在它们旁边,一只完全不动的、从早到晚每次见到它都是脸朝下躺着的蜂子,给人的感觉是死个球的了。这种情况持续了约莫三天,每每看着它,给人一种实在安宁的感觉,令人觉得孤寂。日暮黄昏,当别的蜂子都回到蜂窝,看见冷冰冰的屋瓦上还剩下一具蜂子的遗骸,令人感到孤寂,却又如此安宁。

夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺麗に洗われていた。蜂の死骸はもう其処になかった。今も巣の蜂共は元気に働いているが、死んだ蜂は雨樋を伝って地面へ流し出された事であろう。足は縮めた儘、触角は顔へこびりついたまま、多分泥にまみれて何処かで凝然としている事だろう。外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は凝然と其処にしているだろう。それとも蟻に曳かれて行くか。それにしろ、それは如何にも静かであった。忙しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動く事がなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。自分は「范の犯罪」という短編小説をその少し前に書いた。范という支那人が過去の出来事だった結婚前の妻と自分の友達だった男との関係に対する嫉妬から、そして自身の生理的圧迫もそれを助長し、その妻を殺す事を書いた。それは范の気持を主にし、仕舞に殺されて墓の下にいる、その静かさを自分は書きたいと思った。
夜里突降大雨,早晨天晴了,树叶、地面、屋顶都被冲洗得干干净净。蜂子的遗骸也不见了踪影。现在蜂群又在精神抖擞地工作着,而那只死蜂也许通过雨水管道被冲到地面,又流了出去。它的足仍然蜷缩着,触角仍然贴在脑袋上,或许浑身是泥,一动不动地在那里呆着吧。直到外界的变化使它挪动,它的遗骸就在那里一动不动吧。或许它被蚂蚁拖走了,即使那样,它还是很安静的。因为一只总是忙忙碌碌工作的蜂子,一旦完全不动了,它是安宁的,我对这种安宁感到很亲切。我不久前写过《范的犯罪》这篇短篇小说,写到名叫范的中国人过去的事,他对结婚之前的妻子和自己的朋友的关系产生了嫉妒,由此助长了他自身生理上的压抑,于是将他的妻子杀了。那是以范的感受为主而写的,不过现在却是以范的妻子的感受为主而写的,最后被杀死,埋在墓底下,我想要写的就是这种安宁,我以为。

 「殺されたる范の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分にはそんな要求が起こっていた。其前からかかっている長篇の主人公の考とは、それは大変異って了った気持だったので弱った。
我曾经想写《被杀死的范的妻子》。我对自己提出了那样的要求,不过就是写不出来。考虑到在此之前写的长篇小说的主人翁,由于是非常不同的感受,人物较单薄。
蜂の死骸が流され、自分の眼界から消えて間もない時だった。ある午前、自分は円山川、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中をゆるやかに流れ、円山川へ入る。或所迄来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に7寸ばかりの魚串が刺し貫してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上がろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々当らない。カチッカチッと石垣に当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水へ落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった。鼠は何処かへ逃げ込む事が出来れば助かると思っていた。子供や車夫は益々面白がって石を投げた。傍の洗場の前で餌を漁っていた二三羽の家鴨が石が飛んで来るので吃驚し、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。家鴨は頓狂な顔をして首を延ばした儘、鳴きながら、忙しく足を動かして上流の方へ泳いで行った。自分は鼠の最期を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極まった運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなければならない。今自分にあの鼠のような事が起こったら自分はどうするだろう。自分は矢張り鼠と同じような努力をしはしまいか。自分は自分の怪我の場合、それに近い自分になった事を思わないではいられなかった。自分は出来るだけの事をしようとした。自分は自身で病院をきめた。それへ行く方法を指定した。若し医者が留守で、行って直ぐに手術の用意が出来ないと困ると思って電話を先にかけて貰う事などを頼んだ。半分意識を失った状態で、一番大切な事だけによく頭の働いた事は自分でも後から不思議に思った位である。しかも此傷が致命的なものかどうかは自分の問題だった。然し、致命的のものかどうかを問題としながら、殆ど死の恐怖に襲
われなかったのも自分では不思議であった。「フェータルなものか、どうか?医者は何といっていた?」こう側にいた友に訊いた。「フェータルな傷じゃないそうだ」こう言われた。こう言われると自分は然し急に元気づいた。亢奮から自分は非常に快活になった。フェータルなものだと若し聞いたら自分はどうだったろう。その自分は一寸想像出来ない。自分は弱ったろう。然し普段考えている程、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そしてそういわれても尚、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それは鼠の場合と、そう変わらないものだったに相違ない。で、又それが今来たらどうかと思って見て、猶且、余り変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で希う所が、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のない事だ。
蜂的遗骸被冲走、从我的视野消失后,不久又发生了一件事。一天上午,我走出住地,打算朝圆山公园方向走去,顺便沿着圆山川看一看河流流向日本海的壮观。在“一汤”公共浴场前,小河在道路的中间缓缓流过,汇入了圆山川。当我来到某个地方,只见桥上岸上人头攒动,一边在瞧着河里的什么东西,一边在吵吵嚷嚷。原来他们在观看一只被扔进河里的大老鼠,老鼠拼命地游泳,企图逃走,颈部却被一根七寸长的鱼叉刺穿,脑袋后面和咽喉下各露出三寸左右。老鼠想爬上河堤的石墙,两三个小孩和一个四十来岁的车夫在向它投石头,却怎么也投不中。石头啪嗒啪嗒打在石墙上弹回来,看客们大声笑闹着。老鼠好不容易将前足攀上石墙的缝隙,想要钻进去,但是马上被鱼叉卡住了,又掉到了水里。老鼠在想方设法逃命,人们虽然看不懂它脸上的表情,不过从它的动作中可以明确无误地看出,它已经竭尽全力。老鼠似乎觉得只要逃窜到什么地方去就能活命,于是带着长长的鱼叉,又向河流的正中央游去。小孩和车夫越发觉得有趣,兴高采烈地投掷石头。在一旁洗涮台阶前觅食的两三只鸭子,因为飞来的石头而受惊,伸长脖子四处张望。石头嗖嗖地落入水中,鸭子们突然发了疯似的,伸长脖子,一边狂叫,一边急忙摆动双腿向上游的方向游去。我不想看见老鼠最后的惨象,虽然必死无疑,却不甘愿赴死,束手就擒,它那竭尽全力逃窜的样子,离奇地深深留在我的脑海。我深深陷入一种孤寂而厌恶的心情,心想那是真的吗?在得到我所祈盼的安宁之前,竟然要受那样的痛苦,真是可怕。我想,即使我对死后的安宁有亲切感,可是死亡之前那样的骚动是多么可怕!动物不懂自杀,在临死之前必然要不断挣扎。如果老鼠的命运发生在我自己的身上,我会怎么样呢?我是否会与老鼠一样作垂死挣扎吗?我不禁想到,自己在受伤的情况下,与老鼠是多么相似!我做了我所能做的一切,决定了自己该去的医院,指定了去医院的方法,还想好了,如果医生不在家,去了不能马上手术的话就麻烦了,所以事先请人打了电话。在几乎失去意识的状态下,对处理最重要的事情,脑子竟如此敏锐,事后我自己也觉得有点儿不可思议。加之我的伤是否致命,是我自己的问题。不过,尽管想到了伤是否致命,我却几乎没有被死的恐怖所吓倒,我对此也觉得有点不可思议。“是致命的,还是不致命的?医生怎么说?”我问身边的朋友。“据说不是致命伤。”他这样说。经他这么一说,我马上精神振作起来。由于亢奋,我感到非常快乐。如果听说是致命伤的话,我又会如何呢?那时的我真是难以想象,我会变得很脆弱吧?不过我总觉得自己不会像平时所想的那样,被死的恐怖所吓倒。即使我被告知是致命伤,我想自己也会自救,会作努力。那种情况与老鼠的情况绝对没有什么不同。再设想一下,如果那种情况现在真的发生的话又将如何?我以为,我仍然会一如既往,以不变求万变,心里所祈望的安宁,一定不会马上受到现实的影响。但是我以为,在双方都当真的情况下,受现实的影响也好,不受现实的影响也好,都是不得己的事情。

 そんな事があって、又暫くして、或夕方、町から小川に沿うて一人段々上へ歩いていった。山陰線の隧道の前で線路を越すと道幅が狭くなって路も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までという風に角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物が総て青白く、空気の肌ざわりも冷々として、物静かさが却って何となく自分をそわそわとさせた。大きな桑の木が路傍にある。彼方の、路へ差し出した桑の枝で、或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙しく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いて来た。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。
发生了那件事之后,又过了不久,一天傍晚,我从小镇出来,沿着小河独自渐渐向上走去。在越过山阴线隧道前的铁路线时,道路变得狭窄了,路面也变得陡峭了,而河流也同样变得湍急了,民居全都看不见了。正想返回,可是又想走到那个能看见的地方,于是顺着道路一个又一个拐角,一步一步向前走。四周的景物全都一片苍白,空气凉飕飕的,周围的寂静反而是我感到心神不定了。路边有一棵巨大的桑树,路对面伸过来的桑树枝上,只剩下一片桑叶,以同样的节奏摆动着,摆动着。没有风,除了流水之外,寂静中只见这枚桑叶在始终摆动着,摆动着,忙忙碌碌,总也不停。我觉得真是不可思议,也多少感到有点恐怖。但是在好奇心的驱使下,我往下边走去,又抬头向上看了一会儿。于是乎风吹来了,这么一来,摆动的叶片倒不动了。原因找到了。我想,对这样的情况,自己了解得更清楚了。

段々と薄暗くなって来た。いつまで往っても、先の角はあった。もうここらで引きかえそうと思った。自分は何気なく傍の流れを見た。向う側の斜めに水から出ている半畳敷程の石に黒い小さいものがいた。いもりだ。未だ濡れていて、それはいい色をしていた。頭を下に傾斜から流れへ臨んで、じつとしていた。体から滴れた水が黒く乾いた石へ一寸程流れている。自分はそれを何気なく、踞んで見ていた。自分は先程いもりは嫌いでなくなった。蜥蜴は多少好きだ。屋守は虫の中でも最も嫌いだ。いもりは好きでも嫌いでもない。十年程前によく蘆の湖でいもりが宿屋の流し水の出る所に集っているのを見て、自分がいもりだったら堪らないという気をよく起した。いもりに若し生れ変ったら自分はどうするだろう、そんな事を考えた。其頃いもりを見るとそれが想い浮ぶので、いもりを見る事を嫌った。然しもうそんな事を考えなくなっていた。自分はいもりを驚かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振りながら歩く形が想われた。自分は踞んだまま、傍の小鞠程の石を取上げ、それを投げてやった。自分は別にいもりを狙わなかった。狙ってもとても当らない程、狙って投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考えなかった。石はこッといってから流れに落ちた。石の音と同時にいもりは四寸程横へ飛んだことをしたと思った。最初石が当たったとは思わなかった。いもりの反らした尾が自然に静かに下りてきた。するとひじを張ったようにして傾斜に堪えて、前へ突いていた両の前足の指が内へまくれこむと、いもりは力なく前へのめってしまった。自分はとんだことをしたと思った。虫を殺すことをよくする自分であるが、その気が全くないのに殺してしまったのは自分に妙な嫌な気をさした。もとより自分のしたことではあったが、いかにも偶然だった。いもりにとっては全く不意な死であった。自分はしばらくそこにしゃがんでいた。いもりと自分だけになったような気持ちがしていもりの身に自分がなってその気持ちを感じた。かわいそうに思うと同時に、生き物の寂しさをいっしょに感じた。自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。自分はさびしい気持ちになって、ようやく足下の見える道を温泉宿のほうに帰ってきた。遠く町外れの灯が見え出すた。死んだ蜂はどうなったか。その後の雨でもう土の下に入ってしまったろう。あのねずみはどうしたろう。海へ流れて、今頃はその水ぶくれのした体をごみといっしょに海岸へでも打ち上げていることだろう。そしてしなかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まねような気もした。しかし実際喜びの感じはわきあがってはこなかった。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。もうかなり暗かった。視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、いかにも気分を誘っていった。
三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだげは助かった。
天渐渐暗了下来,我一直往前走去,前面总是有拐角。心想就此返回吧,便无意中瞅了瞅旁边的小河,在河对面一侧,一块斜着露出水面的、约半块榻榻米大小的石头上,有个黑色的小家伙。这是一只蝾螈,身上湿淋淋的,颜色很好看。脑袋顺着倾斜的石头向下,面对着河流,一动不动。从身上滴下来的水在黑乎乎的、干枯的石头上流了一寸多宽的湿印儿。我蹲了下来,若无其事地看着它。我不像以前那样忌讳蝾螈了,而那时喜欢蜥蜴,虫类中我最讨厌的是壁虎。蝾螈呢,既不喜欢,也不讨厌。大约十年前,我在芦之湖常看见蝾螈聚集在旅馆的污水出口处,我常想,自己要是个蝾螈可受不了。
想到如果来生投胎蝾螈的话,该怎么办才好。那时候,一见到蝾螈就浮想联翩,所以很忌讳见到它。但如今已不想这样的事了。我想吓唬一下蝾螈,让它钻到水里去,想像着它那摇摆着笨重的身体走着的情景。我蹲了下来,在身边拾起一块小皮球大小的石头掷了过去。我没有特意向蝾螈瞄准,因为我对投掷是外行,即使瞄准也打不中,所以根本没想到会打中它。石头啪嗒一声掉进了河里,几乎与石头响起的同时,看见蝾螈横向跳出有四寸左右。蝾螈的尾巴向后扬起,高高地举了起来。我看着它,心想这是怎么啦?起初没想到是被石头打中了,蝾螈翘起的尾巴垂了下来,显得自然而宁静。于是,如张开胳膊似的支撑着倾斜的石头的、在前面支着的两条前腿,现在向里蜷缩进去,蝾螈的身体不堪重负,向前倾倒了。尾巴完全紧贴在石头上,一动也动不了了。蝾螈死了,我感到自己做了一件不可挽回的蠢事。虽然杀死虫子的事我经常干,而像这样全不在乎地将它杀死,却使我对自己感到厌恶。这件事不用说是我干的,但是完全事出偶然,对蝾螈来说实在是死于非命。我在那里蹲了很久,想到这里只有我和蝾螈了,我甚至设身处地感到了蝾螈心境。在感到可怜的同时,也一样感到了生物的孤苦凄凉。我出于偶然而未死,蝾螈却出于偶然死去。我的心情变得十分孤寂,勉勉强强顺着脚下勉强能辨认的路,朝着温泉旅店方向踏上了归途。已经看得见远处郊外的灯光,死了的蜂子怎么样了?由于之后下的雨,已经入土为安了吧?那只老鼠怎么样了?已经流入海里,现在它的被水浸泡过的身体,已经与垃圾一起被冲上了海岸了吧?然而未死的我此刻正在这样走着,这样想着。我觉得自己对这样的结果应该感谢不尽才是。但是实际上,我却一点也高兴不起来。生与死这样的事,并不是两个极端,我觉得并没有那么大的差别。天已经相当暗了,我的视觉只能感觉到远处的灯光了。脚下迈步的感觉脱离了视觉,变得更加不确切了。只有脑袋中的思想还能任意驰骋,它越发诱惑我沉浸在这样的心境中。
住了三个星期,我离开了这里。从那以后,三年多过去了,我侥幸地躲过了脊椎骨疽。


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