《海の中に母がいる 原文 译文》(完结)
2016-12-08 11:19阅读:
(是按自己的风格翻的,并不是标准答案,也许你有更好的翻译。如果有翻的不对的,还请多多指教。谢谢!)
ここは季節労働者用の船室で、留学生が近寄らないばかりでなく、船底なので、海に近く、丸窓の外は青い波がすれすれにうねっている。海が荒れると、船員が鉄の覆いで丸窓をふさぎにくる。ベッドは鉄パイプの二段棚にカンバスを張っただけ。飾りなど何もなく、牢獄さながらだ。
这里是季节劳动者用的船舱,留学生基本不会靠近这里,因为是船底,接近大海,圆窗外翻滚着的深蓝色波浪近在眼前,大海很汹涌,船员遮住了铁皮覆盖着的圆窗。床是用铁管做成的两层架子,系着帆布,仅仅如此。没有任何的装饰物,如同监狱一样。
しかし文明の居心地よさはつねに、大自然との直接の接触を遮断する。たとえば灼熱の紅海では、船底は四十度を超え、甲板でも燃える暑さだ。もちろん一、二等船室は優雅に冷房されているが、それでは、コンラッドの描くこの熱帯の海という荒々しい野獣のようなものの実体に触れることはできない、限りなく強烈な、素肌ならすぐに火傷を起こす太陽の下でしか、紅海の目くるめく壮大さは味わえないのである。
但是,文明社会良好的居住环境,经常会遮挡与大自然的直接接触。比如说在炎热的红海,船底温度超过40度,即使在甲板也热的像就要烧着一样,当然,在一、二等船舱内,可以优雅的开着冷气,但要是那样的话,就不能用身体去实际体验康拉德所描述的这如同粗暴野兽一般的热带大海。只有在无比强烈的,裸着身子都能灼伤的太阳下,才能体味到红海这令人目眩一般的宏伟壮大。
私は朝、甲板で激しい海の風に吹かれながら飲む大カップのコーヒーに満足した。中国人、マレー人、インドネシア人、ウェトナム人たちの喧噪のなかで、甲板に寝そべってヘミングウェイを読
むのが、たまらなくうれしかった。舳先に立って風を受けていると、まるで大航海時代の冒険者になったような気がした。
我在甲板上,迎着清晨激烈的海风,喝着大杯咖啡,感到非常满足。在中国人,马来西亚人,印度尼西亚人,越南人的喧嚣中,随意躺在甲板上,读者海明威的小说,十分惬意,站在船头,感受着海风,就好像自己是大航海时代的冒险者一样。
東シナ海の冷酷な青い波、くらげの浮かぶボルネオ海の白緑色のねっとりした波、インド洋の壮麗な落日の下で黄金色(こがねいろ)に砕けていた波、地中海の凄味を帯びた青黒い波――いずれも刻々に私の魂を奪ってやまなかった。朝から晩まで私は舷側からただ海の青さ、広さに見入っていた。
东印度支那海冷酷无情的深蓝色海浪,漂浮着水母的婆罗洲海那淡绿色的黏稠波涛,印度洋壮丽落日下荡漾着的金色碎波,地中海那带着诡异神情的蓝黑色浪涛。---无论哪个,都无时无刻令我神魂颠倒,魂牵梦萦。从早到晚。站在船舷边,目不转睛的盯着着大海的深邃和广阔。
人間は愛するもののそばに長くいたいと思う、ただいるだけで幸せなのである。日が退屈するのは、ひたすら愛するものを失ったからではないだろうか。この大航海の間、私は自然の素晴らしさと同時に人生の過ごし方も学んでいたような気がする。
人们总是想在自己心爱的东西旁一直待下去,仅仅只是待着就会觉得很幸福。每天觉得无聊空虚,无非就是失去了自己所心爱的东西而已。在这航海期间,我深深感受到了自然的雄伟壮丽,同时,也学会了如何去度过人生。
あれからもう三十年。いまも海が恋しいとき、なつかしい三好達治(みよし たつじ)の詩を読む。
「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある」(フランス語の母はmere,海はmer)
从那以后30年过去了,当我眷恋大海时,就会读让我无比怀念的三好达治的诗。
「大海啊!在我们的文字中,在你之中有妈妈,妈妈啊!在法国人的文字中,在你之中有大海」(法语的妈妈是mere,大海是mer)
Ps:现在你们知道为什么标题是 大海之中有妈妈了 吧?可不是妈妈跳海自杀了哦,,哈哈哈哈哈